ひところというか ついさっきまで5分くらい前までアクティブラーニングって言ってたなあ

と思いますが、その言葉はやや影を潜めております。

なんか今一つ伝わらない感じだったのか「主体的・対話的で深い学び」という文言に置き換えられている。

文科省が進めようとしているこれからしばらく先の教育のシンボル的な言葉です。

アクティブラーニングをさらに具体的に確信をもって進めていこうとするその意気込みだけは感じる次第です。

がんばらなあかんな

ただ学びというものはすべからく主体的であり、対話的であろうと思うし、教えられることより学びとることのほうがより重要かもしれない。

ダンス部で日々の活動で行われていることはまさしくこの主体的・対話的で深い学びであるなと感じるところでもある。むしろそれしかない。

乱暴にそして誤解をおそれず言うなれば この俺には教えることなどひとつもないのである。

生徒たちは自ら技術と知識を身につけ、自ら思考し判断し表現する力をつけてゆかねばならぬ。私の役割があるとすればその活動の主たる場となる自由で寛容な小高い丘を用意しておくことであろうと。

そしてこの緩やかな小高い丘陵でもし仮に何かを学んだという結果がすこしでも残るのであれば

そのときは翻って 遡及する形で 教えることなど何もないことのその向こう側に、ほんの小さな光明をみてとってもよいのだろうと、それくらいのことは思っております。

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